
ろくに教えもせず、ただ「速く走れ」というばかりで、生まれつき足の速い子は褒められ、そうじゃない子には落胆して見せる。そんな小学校の体育は嫌いだったヨ。あんなのは教育じゃない、教えてないんだもの。ただ、先天的才能を選別しているだけ。出来る子と、出来ない子、差を埋めてこその教育だ。
— 大山 格🇺🇦 (@itaru_ohyama) February 1, 2025
図工も絵を描かせるのは同様だったね。彫刻刀を持たせる場合など、教えることもあるんだけど。音楽は譜面の読み方など、一通りのことを教わった。だいぶ忘れてはいるが、教わった記憶はある。譜面も無しに耳コピで唄わせるようなことでは終わらなかったもんな。体育は、ほとんど教わった記憶がない。
— 大山 格🇺🇦 (@itaru_ohyama) February 1, 2025
オトナになって、趣味の写真講座なんてのに少なからぬカネ払って教わりに行ったことがあったけれど、そこの大先生のやり方は、小学校の体育だったね。教えない。受講者の作品を見て批評するだけ。よほど出来るヤツを見つけると、どこそこのコンテストに出して見ろとか、助言もするけど……
— 大山 格🇺🇦 (@itaru_ohyama) February 1, 2025
わしは出来ないクチだったので、ヒドイことに「君は、もう今より巧くはならない」と、宣告されちまったよ。それからだよ、組写真に力を入れはじめたのは。文才が乏しくとも、うまい説明文は組み立て方で決まるから、後天的な学習で筆力を養える。同じことが写真でも出来るはずだと思ったからね。
— 大山 格🇺🇦 (@itaru_ohyama) February 1, 2025
心臓バイパス手術後、三週間ほど寝たきりだったあと、本当に歩き方を忘れた。左足に体重をのせ、右足を浮かせて前に振る、それから右足を着地させ徐々に重心を移動させ、右足を軸に置き換える……という具合に理屈を頭で思い浮かべながら、考えぬいて歩いてたよ。理屈さえわかれば歩けたんだよ。
— 大山 格🇺🇦 (@itaru_ohyama) February 2, 2025
理屈なしで歩けていた、それ以前の自分には、考えなきゃ歩けないなんて想像もつかなかったから、運動できない子への理解って、できる人からしたら難しいことなのだろうなぁ。いまは、「右足出せ、左足が軸」などと考えないでも歩けるようになったけどね。
— 大山 格🇺🇦 (@itaru_ohyama) February 2, 2025
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