45歳独身狂う説、あれは個人だけの幸福追求の寿命なんだと思う。隣に多少なりとも不快な隣人を置いて共同生活を営み、ある程度の他人との共同生活の練習をした人間だけが、45歳以降にスムーズにコミュニタリアンをやれる的な要素がたぶんある。会社で嫌な同僚や上司と働くメリットも、この辺りにある。
— 高須賀とき (@takasuka_toki) December 2, 2024
僕らの世代で共働きが理想的になったのは、突き詰めると何らかの組織に所属してその人が組織を回す立場にいるって事が、何よりの共同体構成員としての品質保証になってるからだと思う。家庭は会社よりも更に距離感が近いので、実は会社以上の難しさが時にはある。他人と近距離で暮らすのは簡単ではない
— 高須賀とき (@takasuka_toki) December 2, 2024
基本的には一人で生きるのよりも二人で生きる方が気苦労はあり、更にその距離感が近くなればなるほど別の難しさも発生する。そこで適切に話し合いの場をもうけたりして、お互いの意見をすり合わせる作業がやれないと、組織人はやれない。殴ったり、言い負かせてたり、金で従わせる関係は、続かない。
— 高須賀とき (@takasuka_toki) December 2, 2024
仕事の技能も金も無い頃は詫び入りみたいな形で下っ端をやる事がプライド的に許せなかったイキのいい個体が、中年以降に妙に落ち着いて組織人をやり始めたりするのは、たぶん無意識のうちに個人主義の限界を理解し、共同体の中でしか最後の最後に人は幸せには死ねないというのを、理解するからだと思う
— 高須賀とき (@takasuka_toki) December 2, 2024
結局、人生というのはゲームのようなクリアが無くて、何かが出来るようになったら更に複雑で高度な事を身につけ続けてゆくものなのだと思う。個人としての完成は45歳ぐらいが凡人の才能限界値で、そこから先は良くも悪くもより難易度の高い家庭のような共同体をやれという話なのだろう。
— 高須賀とき (@takasuka_toki) December 2, 2024
僕自身がウルトラハイパーブラック病院でそれなりに皆から温かく迎えられてるのは、なんだかんだで僕には仕事の能力しか無いからな気がする。それこそ楽な病院に行くと、逆に仕事が出来過ぎる部下とか恐怖でしかなく、能ある鷹から爪を抜け、いや首をはねろみたいな話になる。能力は万能ではない。
— 高須賀とき (@takasuka_toki) December 2, 2024
コメント
コメント一覧 (3)
40になるけど相変わらず淋しさよりも1人の無責任な楽さが遥かに上回ってるわ
自分より嫁や子を優先できる人はすげーよ嫌味抜きで
everydayissunda
y
がしました
everydayissunda
y
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