
「美談で着地する話しか社会は咀嚼できなくなっている」
— Naoki Iso (@isnki) July 13, 2024
「本人が無駄だと思っていることは、(何の糧になっていないとしても)許容していいんじゃないか」
pic.twitter.com/fkQA88ZLSw
これ分かる
— ギ サ (@gi_sa090) July 14, 2024
何でもかんでも「やって良かった」わけないし、無理に美談にする必要はないのに
本人が言うならまだ「そう思わないとやってられないんだろうな」って感じだけど、周りが言うのが謎
みんな現実にストーリー求めすぎ https://t.co/32QNfkbwZk
めちゃくちゃ分かる
— 今井太郎(映像教えてる人) (@ImaiTaro_Movie) July 13, 2024
「人生で無駄なことは何もない」という教訓の持ち方も理解は出来るものの
最近はそれがいきすぎて「普通に無駄だった」という感想を抱かせてくれないところがある https://t.co/CdjkMZLrBD
本人が無駄だったと言っているのだから、無駄だったということを無理矢理「糧になった」とか転換しなくていい。
— 産業医てつお🌈 (@e62zWGY8Gj55562) July 14, 2024
少なくともそれがネックになって不調を来たしているわけじゃないのなら。
余計なお世話ってやつですよ。 https://t.co/WCt3ffshsO
午前中にリポストしたのを再リポストするけど、資本主義の本当に怖いところは社会の階層化とかじゃなくて、有益/無駄の二項対立でしか物事が考えられなくなることじゃないかな(社会主義もそういう所あるんだけどさ)。ここから伊藤計劃『ハーモニー』までの距離はほんの一歩だと思う。 https://t.co/3daVIMzEn5
— りきさく (@rickeysack) July 13, 2024
面白い。自分の選択や行動は、心理的にあれが無駄や失敗で全否定とはしにくいので、誰でもあれでよかったのだとか、たとえ失敗でも今の糧になっていると自己肯定化したがる。それが転じて人の行動まで美談にする傾向が確かにある気がする。自己の無駄を無駄と言える人は少ない。 https://t.co/AqQejrIYee
— 山本 和英(言語商会 広報部) (@y8o) July 14, 2024
ひさびさに気持ちいいぐらいの正論を聞いた。
— プルートウ(Unforgiven) (@PlutoDarkness) July 13, 2024
「人生において無駄なことなどひとつもない」というのは大嘘。
ヒトの脳が「まったくの無駄だった」という事実を受け入れられないだけ。
社会心理学の認知的不協和理論で簡単に説明できる。
#山田ルイ53世 https://t.co/UCu0TQplVW
コメント
コメント一覧 (3)
everydayissunda
y
が
しました
認知の浅さを指摘して実はこうだよと教えてるだけだろ。
それに本当に苦労をしてる人なら、負の感情を持ち続ければ心が保たなくなることを知ってるから、ポジティブシンキングを心掛ける重要性がわかる。(それが行きすぎた例がアンミカ)
子供の頃はバッドエンドの映画を観て「オレはこういう映画が好きだなオレ大人だな。こういう映画は本質が描かれてる。世間の大人はハッピーエンドばかり見てバカなんじゃねえの。いい年して幼稚だな」とか考えがち。
何故なら子供は親の庇護のもと、何の苦労もなく生きる事ができていて衣食住に困ることもなく贅沢な遊び道具もタダで手に入り、それが当たり前だと思っているからその日常には飽きていて「非日常の悲劇」に触れたがる。人が死んだ話とか大怪我した話とかをキャッキャッと楽しむ。
まあ作品を発表する側は何を発表してもいいのだからグダグダ文句言うのではなく作りたい物を作って発表すればいいだけ。それが世間で受けなかったら金が入らないと言うだけ。大人の都合で会社が許可しないのなら別人名義でインディーズでタジたりすればいいんじゃないの。もしくは会社に所属するのをやめるとか。とにかく世間の意識を変えさせて社会を暗くなる方向に変えて自分も儲けようとか、なんかそれはおかしくないか?
ホラー映画がある様に陰惨な音楽があってもいいんだし、思うことは行動すればいい。それを「受け入れろ」とか言うはちょっと烏滸がましくない?選ぶのは世間の人なんだから。
everydayissunda
y
が
しました
例えば司法試験にチャレンジして結局合格できずに諦めました程度の事であれば無駄ということはない。
everydayissunda
y
が
しました
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