
結末をあえて読み手に委ねるという手法は昔からあって、それにはその先の絶望も希望も想像して咀嚼反芻しながら余韻を楽しんだり、物語を自己のものにできるという豊かさがあったんだけど、「ちゃんと描かないのは不誠実」という批判を、最近本当によく見かけるようになったと思う。 https://t.co/djB9040LmO
— 碧也ぴんく (@pinkjyoudai) April 25, 2024
物語を情報みたいに捉える人が増えたんじゃないかなと。
— 碧也ぴんく (@pinkjyoudai) April 25, 2024
純文学とか全く履修してない世代が増えてきたんかなとも思う。
— 碧也ぴんく (@pinkjyoudai) April 25, 2024
なんかこの「純文学履修してない世代」という言葉を誤解される節もあるぽいんで付け加えれば、昔の中二って「よくわからないけどなんかかっこいい」みたいに純文学に触れてたりするんですよ。
— 碧也ぴんく (@pinkjyoudai) April 25, 2024
昔の少女漫画やオタ系アニメもそういうとこありましたよね。
そういうことっす。
全てを埋め尽くしてしまったら、妄想したり薄い本を作ったりする余地が無くなるというのに…🥲
— 犬遠藤 (@innuendo2023) April 25, 2024
妄想は隙間に生まれますよね
— 碧也ぴんく (@pinkjyoudai) April 25, 2024
全部書いてないと情報としては不十分ですからね。
— 小崎真也🐾 (@kozaki35) April 25, 2024
想像する、思い描くという物語の愉しみ方を知らないというか、愉しむものだとも考えていない。ただ観て、読んで処理しているだけなのかしらん。


コメント
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everydayissunda
y
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