
ワイ「河内国って淀川と大和川に挟まれてる土地やから河内やったっけ、奈良時代はどんな地形やったか見たろ!」
— 河東竹緒 (@rivereastbamboo) March 1, 2024
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大阪市立自然史博物館の資料を捜索https://t.co/4ZkqfczgXB
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ワイ「なんじゃこりゃあ───!!」 pic.twitter.com/6kyFwexWdL
古地図、特に地形図は超面白い。
— ほうち@経営の人|社長&副社長&経営コンサル&エンジェル投資家 (@houchi) March 1, 2024
この地図の見どころは大阪城が上町台地の北端にあること。三方が湿地で攻め手が南しかない。…
今じゃ地形的に把握は出来んけど、こういった地図を見ると大阪城があった場所に存在してた石山本願寺が如何に難攻不落の要塞として機能していたのかが分かるなぁ。背後の大阪湾から補給を受けていたとも聞くし。 https://t.co/mG8sYMLLqX
— 某食卓の鍛冶屋 (@kitoh_ke) March 1, 2024
秀吉が石山本願寺とタイマンしてでも大阪城をあそこに建てたかった理由がよくわかる https://t.co/XY8v8fUbYN
— レーノレスター (@RailStar_main) March 1, 2024
上町台地の先端にかつては難波宮があり、そして石山本願寺があり、のちに大坂城があった訳だが、「なぜそこに築いた?」は今日の地図ではわからずとも、当時の地図では一目瞭然である。 https://t.co/FauKU6rEOt
— fj197099 (@fj197099) March 1, 2024
そのため河内では山の方に古墳が頻繁に発見される
— ボト (@botomeze) March 1, 2024
多くの人たちは今の大阪平野ではなく山の麓の方で暮らしてたんじゃなかろうか https://t.co/qPoRc75uKB
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